Snow-White and the Seven Dwarfs

人間が立ち入らないような野生が満ちた空間に、なぜ、この少女は足を踏み入れたのだろう?まるで不意に追い立てられたかのように着の身着のまま。なぜ?どこから?これからどうするんだろう?

う〜ん、この絵好き。

グリム兄弟が幼少期を過ごした街を訪れたことがある。私たちがよく知るグリム童話を編纂した兄弟だが、実は民話を収集した業績よりも、言語学者としての実績の方が偉大。多様な言語や部族が混在する激動のヨーロッパで、言語を共有する集団はひとつのアイデンティティを共有し、集団意識と民族性が強められていく。言語を共有するまとまりって、民族や国境を超えて強いつながりを持つし、言語体系が確立されていればいるほど、強固な文化を形成する。言語によって色々なものが継承され、歴史の積み上げが可能になる。言語って大事。

一方、昔話や民話も自分たちのアイデンティティを担保してくれる。口伝で受け継がれて語りかけられる物語には、元来その地方の文化や歴史、智恵が隠されていたに違いない。それを代々語り継いできた家族たち。家族から家族へ。親から子へ、もしくは、祖父母から孫へ、語り告げられてきた物語、人から人へという細々とした口伝文化。想像するに、語り続けられるなかで、幾度も言葉がマイナーチェンジされながら、一番語りやすい語り口、心に刻み込まれやすいストーリー展開が継承されてきた気がする。口伝物語の言葉は身体性が高い。

いま、僕たちはどういう物語を生きているか?
どういう物語を心に抱えているか?
または、どういう物語を果敢に生きようとしているか?

時代が共有している大きな物語ってのがある気がする。あちこちで、語り口は違えども、ストーリーはほとんど同じ。それを手を替え品を替え語りまくる。現代は、媒体も多様化してるから、なおさら。媒体によっても癖があるけど、大きな物語は大差ない。そんな気がしません?
僕はへそ曲がりで、そういう物語が信じられないから、自分がピンときたストーリーを身体に刻み込む。刻み込む方法は、読んだり聞いたりすることじゃない。その正反対。そう、自らが「ものがたる」こと。

『グリム 白雪姫と7人の小人たち』ナンシー・エコーム・バーカート

Susumu Fujita

20代から庭とこどもと本にとりつかれ、いまだその間を行ったり来たりしている。学生の時は旅人に憧れながらも、卒業後、土から離れられない農民になり、鶏と豚と野菜の中で過ごす。その後、札幌に戻り、絵本屋になる。庭プレス、ひげ文庫主催。