庭にきたろばのはなし(2)〜よい本とよいおもちゃの店 〜

ろばのこの看板には、「よい本とよいおもちゃの店」という名乗りがありました。今回の引越しで、お店のロゴからは一旦その名乗りを外しています。なぜ、その名乗りをつけたのかろばのこのオーナーの春義さんに聞いてみました。答えは「よいと思ったものしか置いていないからね」とのこと。つまり、「春義さんがよいと思った」ものが置いてあるってことのようです。完全に主観のみ(笑)・・・。どのようなものが「よい」のか?それは聞かずとも僕はわかるのですが、開店当初までさかのぼってみると、保育の現場は現在とかなり違いました。おそらく、いまは保育士であれば大多数の方が知っているであろう「シロフォン付き玉の塔/ベック社」や「ドリオ/ネフ社」など、いまはド定番とも言えるおもちゃを置いてある園はほんの一握り。「すごいおもちゃに出会った!」という感動とそれを多くの子どもたちに届けたいという想いが沸き起こるのは自然のことだったのだはず。そして、20年経った現在では、ほとんどの保育園や幼稚園にろばのこが取り扱ってきたおもちゃや絵本があります。状況は大きく変わりました。

「よい本とよいおもちゃの店」 この名乗りをあえて外したのは、「よい」ということがどういうことなのかをもう一度考えてみたかったから。前回の〜誕生のルーツ〜では、遊び道具の「質」ということを書きました。今回も質について別角度で書いてみているわけですが、木製であればよいわけではありません。知育玩具というふうな呼ばれ方もしますが、「知能」を育てる玩具がよい玩具なのでもありません(言い出したのはどなたなのでしょうか?)。子どもが自由に主体的に遊ぶための道具が「おもちゃ」だとすると、大人の教育的な意図を実現してくれるものを「よいおもちゃ」とは言い難い。安心安全であることは基本事項ではありますが、人にも自然にエコロジーな素材や過程で作られたおもちゃであれば、「よい」というわけでもありません。ここで大きな難問にぶつかるわけです。「よいって、誰にとって何がよいんだ?」ってことです。

引っ越して、新店舗に移ってから、来てくださったかたはお気づきだと思いますが、点数をかなり絞って陳列をしています。「もうおもちゃを扱わないの」と聞かれるくらいですから少なすぎなんです。そして、スタッフにとっても当たり前に並んでいたものが裏から出してこないとない状態で、大いに戸惑っている様子。いまろばのこの内側ではいろんなことが起こっています(近々赤裸々に全部話しちゃいますからお楽しみに)。少しずつ、考えながら前に進んでいきたいなぁと、焦る気持ちを抑えて「なぜ、よいのか?」をもう一度問い直しているところです。もちろん、以前と変わらずおもちゃも絵本もみなさんに紹介し続けていきますので、ご心配なく。むしろ、狭めるのではなく、広がろうとしています。子どもたちにとって生きるために必要な情報や生きることを楽しむための道具がある場所。そして、子どもを育てる親にとって、人を育てる助けになる道具や知識が用意してある場所。そんな場所になりたいなと思い描いているところです。

0話 庭にきたろばのはなし〜引っ越してきたろば〜
1話 庭にきたろばのはなし〜誕生のルーツ〜
2話 庭にきたろばのはなし〜よい本とよいおもちゃの店〜

Susumu Fujita

20代から庭とこどもと本にとりつかれ、いまだその間を行ったり来たりしている。学生の時は旅人に憧れながらも、卒業後、土から離れられない農民になり、鶏と豚と野菜の中で過ごす。その後、札幌に戻り、絵本屋になる。庭プレス、ひげ文庫主催。

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