オリジナルの木彫りの熊の開発を進めています。コレクターの山里稔さんにご協力いただきながら、木彫熊の歴史を学びつつ、僕たちが作るべき熊の形を探しています。
八雲町、旭川、白老など木彫りの熊の生産地はいくつかありますが、どうやら僕が好きなのは、旭川で初期に彫られた熊。旭川市が(おそらく農閑期に)木彫りの熊を彫ることを推奨し、(ほぼ無条件で)彫られた木彫りの熊を買い取っていた短い期間に制作されたもののようです。山里さん曰く、この時期に彫られた熊は、みやげというよりも、純粋な彫刻作品として彫られているものが多いそうです。まだ、木彫りの熊が商売として成立する前だからなのでしょう。また、「犬熊」などと呼ばれ、写実的でないという理由で馬鹿にされ、現在よく目にするタイプの木彫りの熊のスタイルに押されて、消えていったと仰っていました。
独特な熊のスタイルは、もともとアイヌが掘っていた民具に彫られていた熊に影響されているそうです。アイヌにとって熊は神。神の姿を彫ることは許されていなかったそうですが、イクパスイなどの道具には、熊が装飾がみられたそうです。徳川家がスイスから持ち込んだ木彫りの熊を模倣して八雲町で彫られ始めたことに影響され、旭川のアイヌたちも熊を彫り始めました。そのときに、従来のアイヌの熊のスタイルと、スイスで彫られていた木彫りの熊の中間のようなものが生まれた。しかし、すぐに写実的なスタイルが主流になっていく。この短い期間に彫られた熊が魅力的みたいです。