太田創

これだけ日記を書かない日が続くと、もう誰が読んでくれているんだという気がしますが、マイペースで書き続けます。応援よろしくお願いします。

今日、旭川在住の陶芸家工藤和彦さんの展覧会を見に、札幌の円山地区にある青玄洞へ行ってきました。D&DEPARTMENT HOKKAIDO では、6月の NIPPON VISION MARKET として、工藤さんの器を紹介したばかり。半月ずれで、徒歩15分くらいしか離れていない場所で、同じ作家の展覧会を開催しているという不思議な状況。それほどまでに客層がずれているのでしょうか。いや、先輩の青玄洞さんが、未熟な我々を見守ってくださっているということなのでしょうね。

店主の太田創(はじめ)さんとお話したのですが、とても素敵な時間でした。創業34年。店を立ち上げたのは32歳の時だそうです。僕が店を始めたのが33歳の時なので、親しみを感じたのかもしれません。2005年12月3日の太田さんの日記にオープン当時の話がまとめられていたので引用させていただきます。

青玄洞駆け出しのころ
器専門店を開いてはや22年。ずぶの素人からの出発でした。なんの経験もなく、なんの修行も経ないで業界紙記者からいきなり、転身を図りました。初めはただただ ‘わが感性’ (?) を頼りにしての器選び。最初のころは、雑然とした陶房の中で何を選ぶべきか、困惑することも多かったのが実情です。
どのような器屋にしていくか。基本的な考えは決めていました。この業界には、民芸、クラフト、伝統工芸などなど色々の陶芸理論と運動体があります。これらの潮流、ジャンルにとらわれず、いいものはいいの自由な精神で器を選び、主に個人作家のつくった「日常の器」を扱っていく。従来の民芸店、クラフト店、あるいは陶芸ギャラリーとはやや趣が違う方向性をもったスタイルといっていいでしょう。
青玄洞よりも数年オープンが早い東京のサボアヴィーブル花田が同じスタイルの先輩格で、正木春蔵、平川鐵蔵、藤井敬之などなど才能ある器作家がここから巣立っていきました。彼らは、公募展のキャリアを積み主に観賞を目的とした作品で勝負を掛けていく従来の陶芸家と違い、日常使いのうつわに用と美を追求する工芸家といっていいでしょう。この時期に輩出した作家の層が厚く、その後のうつわブームを彼らが牽引したといえます。
東京・乾ギャラリーのオーナー・茂木さんも草創期の青玄洞を支え、育ててくれた一人です。若手作家の登竜門としての役割を果たしていたこのギャラリーの女ご主人は、威風堂々としたおばちゃんで、器の見方から作家の紹介までまだ駆け出しの私の指南役として、面倒を見てくれました。
ヨチヨチ歩きの私でしたが、次第に、眼は育つもの。古陶磁美術館を訪ね、名品をしっかり目に焼き付けようと見入ったりもしましたが、何よりも水準の高い陶芸を日々あつかっていますと、おのずから目の基準のようなものができてくるようです。そして、単に目利きというだけではなく、器の良し悪しを価格に換算する「値踏み」というプロの仕事の領域に入っていきます。
最近、店の品質は店主の審美眼の高さで決まるんだ、と実感しています。「えっ? 大丈夫?? いまさら何を言い出すんですか…??」と言われそうですが、本当に最近実感しているんです。くるみの木の石村さん、ランドスケープ・プロダクツの中原さん、北の住まい設計社の渡邊さん、青玄洞の太田創さん、そして僕の妻、を見ていると、つくづく審美眼だな、と思います。そして、太田さんが書かれているように「値踏み」という領域に入っているかどうかがプロとアマチュアの分かれ目なのでしょうね。僕はそこが甘いのだと思います。
D&DEPARTMENT は、個人の審美眼というよりは、集団としての審美眼を、もしくはコンセプトを大切にしているから、個人の審美眼が育ちづらい環境と言えるかもしれません。いや、怠けやすいといった方があたっているかな。でも、やはり店の面白さは店主の目なんじゃないかと思うので、最近は北海道セレクトや、USEDや、絵本の古本など、ある程度自由にセレクトできるカテゴリの商品を積極的にセレクトしています。確かに絵本の仕入れを続けていると、値踏みできるようになってくる。しばらく続けてみます。もっと勉強しよう。
Shin Sasaki

デザイナー、D&DEPARTMENT HOKKAIDO のオーナー、一児の父。お酒は飲めません。学生時代にミニシアターで映写技師として働いていたので8mm、16mm、35mmの映写ができるのですが、その技術を活かす機会は20年で1度だけ。